あわぎんホール 徳島県郷土文化会館

民俗関連事業のご案内

あわぎんホール(徳島県郷土文化会館)では、開館以来、長期展望の基、県内に遺存する民俗資料の調査、収集、展示と民俗文化財集の編集発行事業を実施してまいりました。中でも、民俗文化財集の発刊は、昭和54年度の「阿波の古面」をかわきりに、現在までに21冊を上梓しています。21集いずれも、本県に残る民俗の諸相を取り上げ、中には未開拓の分野に取り組んだものも少なくありません。
また、平成22年度からは、映像記録事業として、少子化・過疎化等が原因で現在、衰退しつつある祭事あるいは芸能などの無形民俗文化財をデジタルデータとして映像で保存しています。徳島県指定無形民俗文化財「西由岐のうちわ踊り」以下、10件を超えるものを文化庁「文化遺産を活かした地域活性化事業」の助成金を活用して撮影しました。

それぞれの概要紹介等は以下のページでご確認ください。

民俗文化財集のご案内 映像記録事業のご案内


【平成22年度】 西由岐のうちわ踊り(にしゆきのうちわおどり)

由岐港は風待ち・潮待ちの良港としての歴史をもつとともに、水産業・回船業として栄えてきた。八幡神社の祭礼では「おはけ立て」、謡(うた)を伴う「関船(せきぶね)」、そして「うちわ踊り」が伝承されている。祭礼は新暦の9月14日~16日で、16日には神輿(みこし)が海に入る。以前はこの期間、神輿まわしの若者が海辺で禊(みそぎ)をし、神輿の見守りを兼ねて14日夜に輿堂に泊まる。この時に酒宴(しゅえん)を張り、狭い輿堂で、14~15才からの漁師になる子どもが踊る。

【平成23年度】 西祖谷の神代踊(にしいやのじんだいおどり)

西祖谷山村(やまむら)に古くから踊り続けられている神踊(かみおどり)。「神代踊」という名称は新しく、美しい笠をかぶり、太鼓をたたいて踊るところから笠踊とも太鼓踊とも言われている。
起源は菅原道真(すがわらのみちざね)が讃岐守(さぬきのかみ)であったときの干ばつ時、雨乞い(あまごい)を祈願した際に踊ったのが始まりだと伝えられている。またこの踊は1828(文政11)年に徳島藩主が観覧した史実から、古い歴史を有している。現在は毎年旧暦6月25日に菅原道真公ゆかりの標高1060メートルの天満宮で奉納されている。
【平成23年度】 端山の踊り念仏(はばやまのおどりねんぶつ)

端山木屋の踊り念仏は、新仏のある年だけ旧暦7月15日に行われていたが、昭和50年から新暦8月13日に行われるようになっている。新仏の位牌(いはい)を本尊(ほんぞん)の前に祀(まつ)り、一同正座し鉦(かね)を打ちながら地蔵菩薩(ぼさつ)の真言(しんごん)を唱え、次に堂内で鉦、太鼓を鳴らす人、踊る人も一緒に輪を作り、「ナミアミダブツ」と念仏を唱えながら右回り(時計回り)に後ずさりする。次第に回る速度を速め、勢いづくとお堂の床を踏みならす。前の人の帯を握ったり手をつないだりして輪が崩れないようにする。

【平成23年度】 有瀬かぐら踊り(あるせかぐらおどり)

有瀬は高知県旧東豊永地方の集落と接し、吉野川上流域の山腹に位置する集落である。2つの集落は人的・物的交流が歴史的に行われてきたため、話し言葉や皿鉢(さわち)料理など共通点が多い。また旧東豊永地方の「岩原神楽(いわはらかぐら)」とは同類型の神楽である可能性が高い。それらは、①産土神(うぶすながみ)の御神体を迎えて頭屋(とうや)の庭先に敷かれた筵(むしろ)の上で演じる、②服装が白の袴姿(はかますがた)に襷(たすき)がけである、③翁面(おきなめん)(爺面・じじめん)をつけたもどき役(百姓姿)が見られる、などである。
神楽は以前には旧暦9月10日で、その後新暦10月の第3日曜日となっていたが、平成12年より10月の第2土曜日に三部神社(さんべじんじゃ)の秋祭りで舞われている。
【平成24年度】 金丸八幡神社の宵宮の神事(かねまるはちまんじんじゃのよいみやのしんじ)

秋祭りの宵宮行事として奉納(ほうのう)されている神事。起源は明らかでないが、江戸時代には神職たちにより舞われていた。明治の神仏分離令以降中止されたが、昭和初期に氏子(うじこ)の有志により復活。その後、戦中・戦後に中断したが、新しい当家組(とうやぐみ)制度ができてからは毎年、10月14日の夜境内で続けられている。昔の陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に由来する天上に宿る諸星神(せいじん)を招き、四季の運行を司る五帝竜王の話を神楽舞(かぐらまい)として奉納することにより、気象の安定を願い五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願したもの。
【平成24年度】 一宇の雨乞い踊り(いちうのあまごいおどり)

剣山の北麓(ほくろく)、貞光川上流の地蔵寺を中心に150年前から踊られている。その昔日照りが続くと、氏神(うじがみ)の庭で水神様や竜王様に雨乞いを祈願するために踊られた。幟(のぼり)には「弘化五年申六月吉日」とあるが、弘化5年は2月までであり記載するときに誤解したと思われる。太鼓は寄木(よせぎ)の桶胴型(おけどうがた)で、重さは約20~30㎏、直径約85~100㎝、長さは約75~120㎝で7個あり、胴には「文化十一年制作」(1814)と書かれている。現在の皮は牛皮だが昔はカモシカ皮で、締(し)め太鼓である。笠は直径60㎝ほどの竹で編み、色紙などで飾り立て、その上に直径2mほどの竹の輪を立て、その輪の中に十文字に2本ずつ竹を組合せて輪を支えている。これを両手で操りながら踊る。
【平成24年度】 田野の天王社稚児三番叟(たののてんのうしゃちごさんばそう)

天王社は牛頭天王(ごずてんのう)と称し、聖武天皇の御代(みよ)に悪疫(あくえき)が流行した折、諸国に1社を建立し民の平穏を祈願された社(やしろ)である。この舞は室町時代末から呪術的な狂言として伝承されている式三番叟で、謡曲(ようきょく)「翁(おきな)」を原型とし、稚児(3~5歳)3人により天下泰平、国土安穏(こくどあんのん)、五穀豊穣(ごごくほうじょう)を祈願するものである。


【平成25年度】 山川町の神代御宝踊(やまかわちょうのかみよおたからおどり)

昔、神のいさめの踊として京の都で踊られていたものを川田村の者が習い覚えて持ち帰ったもので、豊年(ほうねん)を祈願して氏神(うじがみ)の社前で踊られた。その後1303(嘉元元)年に雨乞(あまご)い祈願で踊を奉納(ほうのう)したと伝えられている。明治期には一時途絶えていたが、1928(昭和3)年に復活し、10月22日の川田八幡神社例大祭(かわたはちまんじんじゃれいたいさい)に行われるようになった。


【平成26年度】 宇佐八幡神社のお御供(うさはちまんじんじゃのおごく)

おごくは元来「おごく練(ね)り」と言われ、宇佐八幡神社(郷社・ごうしゃ)に300余年の歴史を有する伝統神事である。起源はよくわからないが、1599(慶長4)年ごろから始まったとされており、1689(元禄2)年の記録が残っている。
祭礼は10月15日で、お御供は10日の午前0時過ぎから行われていたが、最近は13日午後7時ごろから始まり、夜半に氏子中(うじこじゅう)の当家(とうや)から大当(おっと・当家の束ね)の家に集まる。


【平成27年度】 宅宮神社の神踊り

宅宮神社の神踊りは、古く平安朝の末期より始められたと伝えられて、五穀豊穣悪病退散を祈願して毎年旧暦7月16日に氏子13馬組によって古式豊かに奉納されてきた。昭和24年からは8月16日に改められ、また昭和42年に11馬組に改組された。この神踊りには、氏子馬組が毎年輪番で当たり、各戸より1人以上が奉仕して行われている。



【平成28年度】 津田の盆踊り(つだのぼにおどり)

津田は、藩政時代には重要な漁業と海運の拠点として繁栄してきた紀伊水道(きいすいどう)に面した島であった。現在は地続きとなり、埋め立てられた一部は木材団地となっている。 由来は、1289(正応2・しょうおう)年に阿波の地を遊行(ゆうぎょう)し布教(ふきょう)活動を行った一遍聖人(いっぺんしょうにん)によって教化された踊り念仏にあり、諸芸能の影響を受け現在の形になったと考えられる。藩政期には城下の盆踊りの発生に影響を与え、阿波踊りの原型とする説もある。


※解説文については、「徳島の文化財」(徳島県教育委員会発行)および宅宮神社発行物から引用しています。
※助成:文化庁「文化遺産を活かした地域活性化事業」